NY百花繚乱 - 半纏と法被

”半纏と法被”と言うタイトルで京都の紫紅社から本が出版されたのは1998年です。シンシアと私の共著でやっと出版にこぎつけることができました。

ある日シンシアから本を出したいので協力して欲しいと電話があったのは1991年頃だったかと思います。彼女はすでに17年ほどかけて日本の火消し半纏の資料をあちこちから収集していました。日本語で書かれた資料には翻訳してもらう費用だけでもかなりの出費だったと思われます。私も1981年に初めてSFで日本の民芸テキスタイル展を開いた時に明治期の刺し子の火消し半纏を3−4点展示してその折りコレクターに3点納めました(コレクターの図録に3点とも掲載されています)。

シンシアと私が火消し半纏をリサーチすることになりました。私はその頃NY近辺やマサチュセッツ州などに頻繁に出かけてはアメリカのアンティークを買い回り、東京や大阪で展示会を毎年開いておりました。あれは1995年の3月20日、私は大阪梅田の駅ビルで展示会のオープニングをしていたら、あの”地下鉄サリン事件”が起きたのです。シンシアと私はすでに東京のコレクターや研究者とアポを取っておりましたので21日に東京に向かって出かけました。まず、我々が泊まっていたホテルに長年江戸火消しを研究されてる方がわざわざ訪ねて下さり、江戸火消しに纏わる大変興味深い話しを沢山お聞きすることが出来ました。私たちはまだ開館して2年しか経っていない東京江戸博物館にも足を伸ばしそこでたくさんの興味深い資料も眺めることが出来ました。

もうすっかり日が暮れておりましたが最後の訪問先は長年古いものを集めてこられたコレクターを訪ねる予定で地下鉄に乗ったのですが、確か日比谷線だったと思うのですが車両には他に1人だけが向こうの端の方にいるだけです。それで車両がたくさんの犠牲者が出た駅に停まった時はさすがに私も背中が凍る思いがしました。

本は何とか出版することが出来ましたが、私としては決して満足出来るものではありませんでした。資料が沢山あればあるほど混乱してしまい、それらの資料を充分咀嚼しそして自分の言葉で上手く纏めると言う作業は想像以上に難しかったのです。結局苦し紛れのヤケクソでパッチワークのようにあっちこっちから言葉を引っ張ってきて何とか誤魔化してやり遂げたと言うのが真相です。1冊だけ本は持っていますが出版されてからまだ自分の日本語のテキスト内容は読んでません。とても恥ずかしくて読めないのです。