NY百花繚乱 - 週間平凡と団塊世代

戦後ベビーブーマーの第一陣として生を受けた我々の世代は誰が名付けたのか団塊世代と呼ばれております。私は大阪府下でも二番目に大きなマンモス中学校に入学しました。我々の学年だけで1200人、クラスは24組までありました。イギリスで生まれた”揺りかごから墓場まで”の意味をどう取り違えたのか我々は熾烈な競争が揺りかごから墓場まで続くのだ周りでさかんに言われ続けました。

こんなことがありました。ちょうど6年生の授業を受けていたら誰かが教室に入ってきて我々の担任の先生にアンケート用紙を渡したのです。先生はその用紙を一瞥して”これはおかしいですよ、子供たちのお父さんは戦争で亡くなっていないですよ”って言いました。その時の会話を実によく覚えているのは、まだ小学6年生の私にとってその意味が理解出来なかったのです(かなり後で分かりましたが)。とにかく両親から勉強しろなんて言われたことはありませんが学校の先生方がいつも朝礼台の上からハッパかけるのです。日焼けした顔にメガネをかけた西村先生は馬の調教師みたいに我々のお尻を鞭で指導するのが役目でした。教室は運動場に急場に作られたプレハブ校舎がズラーッと並んでおりました。休みの日には模擬試験を校外の会場にしばしば受けに行かされ試験の結果が壁に貼り付けられます。西村先生は6時限目の授業が終わってから2時間の補修授業だけではダメだ、家で最低3時間は勉強しろ、と容赦なく鞭を振るいます。私は勉強は大嫌いでしたが根が真面目なのでクラスメートから”ガリ勉”と呼ばれようと懸命に勉強してました。その頃の補修時間は成績順にクラスが分かれて授業が行われておりました。私は一体最後の方のクラスはどんな連中がいるのか、と興味があって教室の廊下をずっと歩いて19、20、21、と順に辿って行ったのです。ビックリしたのはあの体操の先生が何と数学を教えていたのです。落ちこぼれの劣等生はもうどうでもよいと思えるうような露骨な差別教育には子供ながら本当に驚きました。

数年前に我々中学校23組のミニ同窓会で7−8人が集った時に私がその話しをした何と誰も覚えてない、と言うので私はまたまたビックリしました。

昨年、ブルックリンで日本のアンティークショップを経営しているアメリカ人の友人の倉庫で古い雑誌を見つけました。”週間平凡”1972年11月号でパラパラめくると懐かしいあの頃の歌手やスターの写真がいっぱい出て参ります。本文を読んでみたところ、まず驚いたのが字体が今の半分位しかないのでメガネどころか虫眼鏡が必要なくらい小さいのです。そしてもっと驚いたのが文章の表現方法でした。江戸時代の古文書を読むほどではありませんが、いかにも古臭い表現が随所に見られて時代の変遷を感じずにはいられません。私たちの若い時はそのような古臭い表現が当たり前だと思って皆が読んでいたのです。考えてみれば我々が受けた教育は戦後の六三三制教育です。しかし先生達は殆どが大正生まれの戦前派か少しは明治生まれの先生もいたと思います。雑誌や新聞のメディアに関わっていた人々も全部戦前派の人達ばかりです。私たちがあの時代に読んだ白樺派の小説を含めて全てが戦前にその思想、生き方を確立した人ばかりだったのです。

私たち戦後の団塊世代は彼らから教育を受け、長じて青春時代もずっと戦前派の人達の洗礼を受け続けながら大人になったのです。だから我々団塊世代の中身は戦前派の影響が計り知れない大きなものだと改めて”週間平凡”を読みながら思いました。