NY百花繚乱 - John Lennonに纏わる話し

John Lennon氏がダコタハウス前で射殺されたのは1980年12月8日です。確か田宮二郎氏も年は違うけど同日に自殺されたと記憶しております。1941年12月8日は大本営発表がハワイの真珠湾を攻撃し第二次世界対戦に突入した記念の日でもありました。

あれは90年代後半頃かと思い出します。私の友人がJuly 4thの独立記念日にひとりの男を連れてハンプトンにやってきました。彼女は例のコサージュを持って来た人です。とても厚かましい女で初めて私が住む30丁目のアパートに来た時もいきなり冷蔵庫を開けて中身を点検し出したのには驚きました。July 4thの前にも別の男を連れてきて列車で来たから駅まで車で迎えに来いと夏のシーズン真っ盛りの時に平気でそんな電話を掛けてくるような女です。私はイーストハンプトンに長年ヨットを所有しておられた日本人ご夫妻から船の近くでバーベキュをするからと招待を受けておりました。

例の彼女のボーイフレンドの名はフレッドと言う名前でどうやら彼女が通うジムで知り合ったらしいのです。聞けばフレッドはジョンが殺される寸前迄の1年半ほど彼のパーソナル、アシスタントをしていたそうです(謂わば小間使いのようなもんです)。その彼が”The last day of John Lennon”とタイトルの付いた本を書いたので私も一冊貰いました。三分の一ほど読んだだけでしたが要するに暴露本の一種です。ダコタハウスの中の私生活を綴った中身の無い内容です。私が彼に抱いた印象も”この男ジョンのパーソナルアシスタントをしていただけが唯一勲章のつまらん男”それだけでした。厚かましい日本人の彼女が他に男を見つけて結婚した後で一度彼のブルックリンのパークスロープのアパートに彼を訪ねたことがあります。付近はブラウンストーンの立ち並ぶ素晴らしい街並みで私の大家さんだったマーティンのペントハウスから直ぐ近くだったので、たぶんマーティンを訪れて近くなので私がついでに寄ったのでしょう。その後も彼から何度か電話が掛かってきたのでNYの自然史博物館前で会った記憶がありますがたぶん映画でも見に行ったのかもしれません。とにかく何度か電話がありましたが私は全く興味の無い男だったのでそれきりになりました。それから何年ぐらいたったのか、とにかくABC放送のニュースを見ていたら突然あのフレッドが出てきたのです。どうやらジョンの個人的なモノを持ち出した云々でヨーコ氏が訴訟を起こしたと言うようなニュースでした。この男、まだジョンの亡霊にすがって生きているのか、ふ〜んと私は思いました。彼から貰ったジョンの曲のデモテープかどうか知りませんが引っ越しする時他のカセットテープと一緒に全部捨てました。たった1年半ほどジョンの側で過ごしただけで自分の一生をそれに振り回される哀れな男もいるんだと思いました。しかし考えてみれば彼なんかはまだマシな方でしょう。あのクリントンのスキャンダル旋風を巻き起こしたモニカ、ルヴィンスキーなんぞ数回大統領の”葉巻き”をくわえただけで超有名人になり本まで書いてミリオンを稼いたのですから、有名人に取り付いたら金鉱を掘り当てたようなもんです。

ジョンとヨーコがNassau郡のコールドスプリングに家を買った時のことは詳しくフレッドの本にそのいきさつが書かれていたので私は知っていたのですが、後年ロバートと知り合った時に聞いた話しですが朝彼が仕事場に行く時、反対側から車で走ってくるジョンと時々すれ違いいつもヤァ〜とお互い手を挙げて挨拶していたそうです。ちなみにポールはイーストハンプトンの隣町のアマガセットにサマーハウスを持っているので彼の声を聞いたなどとチラホラそんな話しも伝わってきてました。独特の声なので彼だとすぐ分かるそうです。

    f:id:NYhyakkaryoran:20170720001913j:plain

ジョン、レノンの大ファンだと自認するシゲさんのヨットに宇香さんご夫妻と一緒に乗せて貰う