NY百花繚乱 - 宮本政於氏を偲ぶ

私が彼の本”お役所の掟”を手にしたのは実家の本棚にあったからです。この本のことは出版当時新聞の書評欄で取り上げられたので記憶しておりました。本を手に取ったのは2012年の冬でした。その本を読み終えた後私はまた本棚に彼の”在日日本人”を見つけたので読みかけたところ私は全身に鳥肌が立つ思いがしてきました。行間から立ち上がってくる憤怒の怨嗟は私の身に持て余すほどで私は筆者の身の上が俄かに心配になってきたのです。それは2月24日の真夜中でした。私は早速彼のことをネットで検索しました。私の不安は的中しておりました。彼はすでに1999年7月にパリで客死してました。私はその事実を前にただ呆然とするばかりでした。

どうして日時を良く覚えているかと言うと翌25日にNYのMETのテキスタイル修復部で40年以上勤務して京都に居を移された梶谷宣子さんが柏原の拙宅に来られたからです。私はまだショックから立ち直っていなかったのですが、彼の死の事実はその後もずっと私に心の中でオリのように滞ってました。そしてあれは3月の末のことです。やっとArts of Pacific Asia Showを終えて私とロバートはワシントンの桜を見に行くことにしました。もう最初から最後迄彼とは喧嘩ばかりで私は遂にサグハーバーに帰らず途中のマンハッタンで車を降りて友人のアパートに逃がれました。そうあの光景を見たのは4月1日の昼下がりでした。E 30丁目 の6 Avenueの角のデリーのカウンターでコーヒーを飲んでいた時、ふとストリートに目をやったら突然真っ赤なポルシェが私の視界に飛び込んできたのです。心臓が止まるかと思うほどの衝撃でした。何故なら1982〜1984年頃、彼は真っ赤なポルシェでこのマンハッタンを駆けていたのです。私が偶然見た真っ赤なポルシェはまるで彼がまだ生きていて私に何かサインに送っているかのような錯覚に陥ったのです。それから私の五感に不思議な感覚が舞い降りて来て辺りの自分を取り巻く世界がずっと遠くに感じるようになったのです。自分の歩き方も今までとまるで違った歩き方になり、まるでフワフワと雲の間を歩いているような感覚なのです。こんな感覚は生まれて初めてだったので私も内心戸惑っておりましたが身を任せるしか仕方ありません。感覚が研ぎ澄まされて相手の言わんとすることが全部透けて見えてるのです。それはまるで手に取るように感じるんです。本当に不思議な感覚でしたがそれがどれほど続いたのか今となっては覚えておりません。私はその年の6月に日本に帰った時、是非とも彼のお墓に参りたいと出版社に電話をしましたが個人情報なので教えられないと言う返事でした。せめて彼の死の傍で彼の愛する人がいて看取ってくれたならと私は願っていたのです。

私がかえすがえすも残念に思うのはどうして彼が日本の官僚機構の体質がどうにもならない、と感じた時点でNYに戻らなかったのかと。自分の命を賭けてまで縦社会でピラミッドのように構築された国家権力に挑んでも負けるに決まったことなのに、と彼の勇気を称えつつも今でも残念で残念でならないのです。