NY百花繚乱 - 自由の国なるアメリカ

アメリカに初めて来た1974年はニクソンのウォーターゲートで大揺れに揺れてました。そして日本では14歳の山口百恵ちゃんがデビューして男どものアイドルとなってました。私はバークレーで物乞いをする人たちを見て、なるほどここでは乞食になるのも自由なんだと妙に感心しました。

そして84年に私がグリーンカードを申請して二年足らずで無事取得出来ました。当時で2000ドルほど弁護士に支払った記憶があるので当時の日本円に換算すると50万円以上掛ったことになります。取得する前にインタビューを受けるのですがそのインタビューで驚くような質問を受けました。犯罪歴が無いか、とかそのような質問が続いた後に”Communist Partyのミーティングに参加したことがあるか?”と聞かれたのです。勿論参加したことが無いのでノーと答えました。しかし、ここは思想も宗教も自由の国では無かったのかと、聞かれたその質問に私は軽いショックを覚えたのです。

長年住んでいて思うのですがコミュニズムの反語はキャビタリズムだと思います。デモクラシーは政治の一形態に過ぎず、このアメリカと言う国はまさにキャビタリズムの国と言えます。先進国で未だに満足な国民健康保険が無いのはこの大国のアメリカだけだと思います(中国は政治形態が違うのでよく分かりません)。資本家が牛耳っているのです。あのSept. 11で消滅したWorld Trade Center の跡地に建てられた新しいOne Worldのビルを見るたびにグローバル世界の象徴として世界中のマネーがこのWall Streetの金融街に集まっているかのように思えるのです。

ワシントンのロビーィストが金にモノを言わせて政治を動かしています。人権問題を政治のツールにして後ろ手で武器を売っているのが資本家です。トランプ氏はテロの危険を煽ってアメリカ国民に恐怖感を与えますが、彼はどうして銃関連に寄る死因で毎日80人以上の人が亡くなっているのに銃を規制しようとしないのか私はそれが不思議でなりません。テロの危険性を声高に言うのであれば、どうしてテロが原因の死亡率と銃関連の死亡率を比較しないのでしょうか。それはアメリカンライフルソサエティーが巨額な献金をしているからです。いかに政治家が理想的なことを演説してもその原動力はマネーです。数パーセントの金持ちがますます肥え太り、貧者はますます増えていく、これがキャピタリズムの本質です。

いかなる政治形態にも欠陥があります。人間らしい暮らしを求めるのであれば、どのような生き方をしてゆけばその答えは見いだせるのか、その答えは人によって様々だと思います。時代という波に飲み込まれないで自分の足で大地を踏みしめて生きている人たちは実に皆さんいい顔をしてます。それぞれの顔の表情そのものがいい生き方をしてきたかを物語っているように思えるのです。”生き方”がいい顔を作る、それはマネーでは決して作ることが出来ないものだと年齢を重ねると分かってきました。年を取るのも失うばかりでなく、得ることも結構あるもんだと感じる今日この頃です。

 

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散歩中に見つけたクゥエーカー教徒のサインにホッとする。  

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ハロウィーンパレード 、ただ扮装すればいいってもんじゃありません。本場は気合の入れ方が違います。一年掛りで取り組むそうです。パパブッシュの時にワイフのバーバラがブルーのドレスにオープンカーで行進していたので私はてっきり本物だと思い込んでました。後でそっくりさんだと聞いてビックリ。

NY百花繚乱 - クレジットカードについての日米の比較

82年に私が日本からサグハーバーに来てシーズンが過ぎてからお店をオープンしましたが当時はお客さんが買い物をするとキャッシュかチェックを切るのが一般的でした。チェックで受けとるには銀行にアカウントを開かないとビジネスにはなりません。アカウントを開くにはソーシャルセキュリティー番号を取得しないと開くことが出来ません。その時, 確かたか子さんが銀行のテラーにソーシャルセキュリティー番号を今申し込んでいるから受け取ったら知らせる、とか言ってくれて首尾よくアカウントを開くことが出来ました。サグハーバーは小さな街なので当時はかなり融通が利くと言おうか、大らかと言おうか、いい加減でした。電話機はまだクルクルもつれるコード付きで交換手を呼ばないと日本に電話出来なかった時代です。

クレジットカードを持つ為には支払い状況を証明する必要があり、それが無いとクレジットカードは発行してくれません。だから最初はトヨタの白いヴァンをローンで買いました。とにかく家賃、光熱費等の支払いを滞り無く毎月支払うのは勿論のこと、車や大きな買い物をしてクレジットヒストリーの実績を作ら無いとクレジット会社は発行してくれないのです。それでやっと最初は1000ドルの枠内でクレジットカードを貰うことが出来ました。クレジットカード会社から毎月送られてくるステートメントにミニマムの金額が記載されてますが例えば先月670ドル使ったとすればミニマムは45ドルとか記載されてます。カード会社にとっていちばん美味しいお客はこのミニマムを払って残りの金額に年利で12%〜15%の利息を翌月に繰越して利息を払ってくれるお客が上客なのです。使った金額を翌月に全部支払う客は美味しくありません。そして毎月きちんと期日迄に支払って実績を積み上げて行くとクレジットの枠を広げてくれます。80年代はなかなかこのクレジットカードは容易に発行してくれませんでした。

このクレジットカードの実績スコアなるものがあらゆるところで重要になってきます。例えばアパートを借りる場合など必ずクレジットスコアーをチェックされます。そして推薦人二人とか銀行のアカウントの過去3ヶ月のステートメントのコピー、あるいは過去2年分の納税証明とか要求されます。ここでクレジットカードのスコアが500以下だとまずアウト、銀行も絶対にお金を貸してくれません。何故ならクレジット(信用)が無いからです。レンターカーもホテルの予約も航空券も買えません。

クレジットカードの支払いをうっかり忘れたことが何回かあります。日本に帰国していたりして気が付いたら期日が過ぎていたのです。カードの裏には海外から掛ける無料の電話番号も書いてあるので私は何回か電話しました。それで遅延料金25〜35ドルを取り除くよう要求します。その場合は私の支払い状況が相手に一目瞭然ですからうっかりミスを許して貰えるのです。”OK, No Problme, Have a Nice Day”とか言って実に鷹揚なもんです。このスコアが良いと次から次と14ヶ月間は利息無し、とか美味しいダイレクトメールが度々届きます。一度その甘い言葉に乗って借りたことがあります。すると無利息の期限が過ぎるといきなり19%の利息が待ってます。とにかくあの手この手でスコアの高い客をターゲットにして様々なクレジット会社からお誘いの大きな封筒が届きます。反対に支払いの悪い客は利息がぐ〜んと高くなります、リスクが大きいからです。

私は日本の三井住友のクレジットカードを保持しておりますが使ったことが殆ど無いのでどのようなシステムになっているのか知りませんでした。2年前にヤフオクで戦前のマッチラベルを落札したのです。最初2万円ぐらいだったのでギリギリ待って時間切れ寸前に入札金額を入れたらその都度時間が延びて、つい意地になってしまったのです。それで6万円ぐらいになって”貴方が落札者です”と標示が出たのでやれやれと思っていたら何と画面が勝手に元に戻って落札者の私のアドレスでドンドン釣り上がってゆくのです。初心者ですからこの事態に対処する方法が分かりません。とうとう13万円迄上がって行ったのです。嵌められたのです。仕方が無いので私はクレジットカードで支払いをしました。マッチラベルは実家に送られてきてからNYの私の手元に届くので時間が掛かります。送られてきたのは半分以上が戦後のマッチラベルでした。

しばらくして妹からメールがあり、三井住友銀行から私の口座にお金が足ら無いので大至急入金するようにと緊急の電話があったので母が入金しに行ったと言うのです。日本のクレジットカードのシステムを知らなかったのですが口座に入っている金額内でしか買い物が出来無いのであればそれはクレジットカードでは無くて”デビットカード”です。私がアメリカのクレジットカードを日本で使うと何時も支払いは一括払いかどうかといちいち聞かれるのでそれも怪訝に思っておりました。日本のクレジットカードのシステムであればクレジット会社にとって焦げ付きは無いと思いますが、システムはクレジットカードと非なるものです。ちなみに日本に帰国してからまとめて通帳記載したらマッチラベルのクレジット支払いの手数料が7500円ほど通帳から引かれてました。名前を見たらマッチラベルを送ってきた三重県の業者と同じ名前でした。新規参入者を食い物もしている悪徳業者に引っかかったのです。

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Cout House in Brooklyn

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St. James Cathedral Church in Brooklyn

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St. Patric Cathedral Church on Fifth Ave. Manhattan 

 

NY百花繚乱 - Dudley と Midnight

 私がロバートと出会った1998年に彼は大きなスコティッシュ、ディアハウンド犬のダッドリー(雄)を飼ってました。大きな犬で馬のポニーほどあるかと思えるぐらいの大きさです。おそらく日本では数頭しか飼われていないと思います。

時々大きな珍しい犬がうろついているのに私も気付いていて一度観察したことがあります。その時その大きな犬は店の前のストリートを渡るのにちゃんと法令を遵守し左右を確認してから渡っていたので私はいたく感心しました。ある日店の前に大きな犬のフンを見つけたので私はきっとあの犬の仕業に違い無いと思ってました。しばらくしてロバートが店に入ってきたので私は彼が飼い主だと分かると文句を言いました(ロバートとの出会いの経緯を語ると千夜一夜物語になるので割愛)。とにかく目立つ犬なのでしばしば人が質問してきます。一度ABC放送の看板アンカーだった故ピーター、ジェニング氏(2001年のSept. 11の時のアンカー)が車を止めてロバートに何という種類の犬かと聞かれたそうです。氏は当時隣り街のブリッジハンプトンにサマーハウスを持っていました。

ダッドリーのことを思い出すと私の涙腺はすぐ緩んできて涙が自然に出てくるので余り詳しく伝えるのは辛すぎます。彼は2001年4月29日に身罷れました。あの日私が店に行こうとしたらダッドリーは起き上がれ無いくらい衰弱していたのに私がドライブウェイを下って下に降りてふとバックミラーを見たらあのダッドリーが50mはあるドライブウェイの坂の上で私を見送っていたのです。それが生きている彼の姿を見た最後でした。私は友人から魚を貰ってダッドリーに食べさせようとしたのですがすでに手遅れでした。店から戻ったらもうダッドリーは死んでいました。悲しみは後からじわじわとやってきます。その時は私は冷静だったのでロバートにすぐにダッドリーが大好きだったオーシャンへ行って埋葬しようと言いました。ロバートはダッドリーの名前が刺繍された大きな円形のベッドごとダッドリーを抱きかかえ私はスコップを持ってオーシャンに行きました。砂浜の小高くなったところを1mほど掘ってダッドリーを埋めました。しかしあれから10年も経たずにそのオーシャンに行ったらその小山はすっかり無くなってました。ダッドリーの骨と首輪に下げた500円玉ほどの金属に刻印された名前と電話番号はどこへ行ったのか、とそこへ行く度に思い出すのです。

ダッドリーに可哀想な死なせ方をしたので私はロバートに今後一切犬を飼うな、と宣告しました。理由は飼い主としての責任能力が無いからです。しかしある日私がNYのアパートから戻ったら黒い犬がいました。2005年の4月18日の真夜中近くロバートが車を運転していたら何か黒いものが道路を横切ったそうです。それがミッドナイトでした。獣医に見せたところ年齢は1才〜1才半だと言われました。首輪をしていましたが迷い犬だと思ってしばらく様子を見ておりましたが飼い主が現れなかったのでたぶん捨てられたのでしょう。大人しい子で全然吠えません。雑種の雌で中型犬です。

ロバートは食事中に犬がテーブルの側に来るのをとても嫌がるのですがミッドナイトは決して近寄ろうとはしないで何時も2−3m先離れたところで大人しくじっとしています。私は番犬としてもこんなに大人しい子では役に立たないと思っていたのですがArts of Pacific Asia Showの時に私のアパートにロバートと私とミッドナイトが寝ていたら突然夜中にミッドナイトが激しく吠え出し私はビックリして飛び起きました。ロバートによると真夜中に廊下を誰かが歩いていたそうです。それで私はすっかり彼女を見直しました。ミッドナイトの大きさはダッドリーの半分も無いぐらいなのですが彼女は3匹も鹿を殺しました。最初の一匹はミッドナイトが口の周りを血だらけにして戻ってきたのでロバートが林の中を見に行ったら鹿が死んでました。二匹目は分かりませんがその時も口の周りを赤く染めて帰ってきたので殺したに違いありません。三匹目は私の目の前で鹿と犬の死闘が繰り広げられて、それはもう完全に野生の世界でした。鹿は断末魔の声をあげるし、ミッドナイトは激しく吠えまくるし辺りの空気が震撼するほどでした(ちなみにダッドリーはディアハンターなのに一匹も仕留めたことがありませんでした)。

いつもいつも散歩に連れて行ってもらうのをじっと安楽椅子に横たわりながら私が少しでも外に出かける素振りを感じると安楽椅子からのっそりと降りてくるのです。いちどサグハーバーのヘブンズビーチで夕方の5時過ぎにロバートとミッドナイトが車の外に出ていたら向こうの方角から大きなシェパードが二匹やって来てミッドナイトを囲みそのうちの一匹がミッドナイトの左腰の辺りに噛みつきました。私は車の中でその様子を見ていたのですが飼い主のカップルの名前も電話番号も聞かずロバートはカップルを帰したのです。私が見たら傷口が大きくえぐれて皮が剥がれているのです。私はロバートを激しく非難してすぐに獣医のところへ連れて行け、と言っても全く彼は何もしません。ハウンド犬のように胴回りが細くなっているので抗生物質のクリームを塗り腹巻のようなものを作って何度も巻くのですがすぐに緩くなってしまいます。あれこれいろいろ試していちばん効果があったのはサランラップを巻くことでした。1週間もすれば傷口が徐々に小さくなってきたので私もやっと安心しましたが、あのシェパードを飼っていたカップルは他の犬の飼い主から5000ドルの賠償金を払わされたと噂で聞きました。ミッドナイトは本当に要求をしない子だったのでそれが今でもとても不憫でならないのです。

私はもう絶世の美男が横をすれ違っても興味無いですが犬だと子犬であろうと老犬であろうと見かけると必ず執拗な視線で追いかけるのが習い性になってしまいました。私は自分だけの犬、愛玩してやまない犬、犬の目線で暮らしたいと切に願っているのです。

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Dudleyと桜の咲く頃

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     2005年5月

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     鹿を監視するミッドナイト 

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EECO FARMにて 

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ストリートで見かけた生後8週間目のミラーちゃん、そのあまりの可愛さにキッドナップの言葉が一瞬頭をよぎりました。 

 

NY百花繚乱 - First ZEN Institute of America

30丁目のアパートに住んでいる時は車のパーキングの為に何度も何度もPark Ave.の交差点を渡り次のLexiongton Ave. Third Ave.時にはSecond Ave.とEast Sideを頻繁に歩いておりました。もう何千回と歩いてました。ある時車をようやくパーキングして私は自分のアパートに戻るべく西を向いてPark Ave. 方向に歩いていると向こうから何やら原色の派手派手オバさんがやってきます。その色が余りにも強烈だったので私は彼女を注視していたら彼女は急にブラウンストーンの半地下に消えてしまったのです。私は大変興味をそそられて彼女が降りた階段を降りました。そして見たのはかなり黒ずんだ木製の看板でした。大きさは縦約30cm、横約45cmぐらいで、目をこらしてよく見ると”美国 第一禅堂、とありその下にZEN INSTITUTE”とあるのです。まさか、こんな目と鼻の先に禅道場があるなんて私は信じられない思いでしたがその日の午後に再び行って呼び鈴を鳴らしました。私を迎え入れてくれたのはピーターで, 彼が館内の道場や着替え室、ライブラリーなどを案内してくれました。そして驚いたのは着替え室になっている部屋の入り口近くに高さが全長で約65cmぐらいの弥勒菩薩像が安置されているのですが、その菩薩の余りの美しさに胸を打たれました。ちょうどその日は週に1度の禅プラクティスが7時半からあるというので私も早速参禅させていただきました。着替え室も道場も30丁目のストリート側に面してます。着替え室には観音菩薩像が祀られてあり、これも素晴らしいのです。私が背の高いアメリカ人の青年に素晴らしいと伝えると彼はやにわにその菩薩像をまるで丸太棒を取るかのように手で掴んで私に見せたのにはビックリしました。道場の祭壇にはこれまた素晴らしい文殊菩薩像が祀られています。どうやら原色の派手派手オバさんが私を禅の世界に導いてくれたようです。

私は22−23歳の頃に森田式正座会に参加する為に神戸、大阪、京都などにいっ時通っていたことがあり、呼吸法を少し習っておりました。そして40歳を迎える年の12月にアップステートの大菩薩禅堂でろうはつの接心に参加して1週間朝5時から夜迄座禅を経験していたので少しは心得があります。その機会を得てからピーターとマイケルの二人と親しくなりました。特にマイケルとは車をパーキングする時によく同じストリートで顔を合わせるようになり、ますます親しくなりました。

ある日、私がピーターにあの菩薩像の時代はいつ頃のものと思うかと尋ねたことがあります。彼は19世紀だと言うのですが、私はもっと古いものだという確信がありました。それで弥勒菩薩像と観音菩薩像の両方の写真を京都の知り合いの業者に送ったら両方とも室町期でそれも京都の仏師が造ったものだと返答がありました。どちらも美術館に行くほどの素晴しさです。私はその後何度か参禅し、母がNYに来た時も一緒に行ってピーターに母を紹介しました。もう何年も彼らと合っていないので来週の水曜日に久々に参禅しようと思っております。 

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NY百花繚乱 - Street Parking事情

マンハッタンの路上駐車では本当に骨が折れました。82丁目に引っ越してから車を手に入れたのですが住宅地なのでなかなか空いてるスペースが無いのです。何回も何回もぐるぐる回って探すのですがもう根気と忍耐の勝負です。夏は比較的楽なんです、と言うのはみなさんバケーションを取りますから。だいたい道路の清掃が月曜日と木曜日11時〜2時が北側、火曜日と金曜日11時〜2時が南側というようになってますが時間帯は道路によって朝8:30〜11:30というのもあり、学校があるところでは日中は駐車禁止区域になってます。まだ慣れない時はこのサインを読み間違えるのがしばしばで何度も確認した筈が車を動かそうとしたらあの憎っくきオレンジ色の封筒がベッターとワイパーに挟んであるんです。もう何回貼られたことか、数え切れないほどです。最高は7枚束になって貼られてました。

あれはウッドストックの友人を訪ねようとして前日に停めた筈の場所に行ったら車が消えてました。てっきり盗難にあったと思って警察に電話したら別の番号を教えられそこへ電話して確認しろ、といわれました。電話したらやはり車はトーイングされていて場所を聞いて取りに行ったのですがかなり北の方角へ地下鉄で行かないといけないのです。まず窓口で現金300ドルを要求されます(違反切符は別)。お金を支払うと車を保管している場所にゴルフカートみたいなのに乗せられて目的地まで行くのですが薄暗い埃臭い広大な場所にどこ向いても車、車、車が延々と遥か彼方まで続いているんです。私は一体何回あそこへ行ったことやら。30丁目に越してからもこの路上パーキングのスペース取りに苦労しました。当時は清掃時間は3時間なので決められた時間の前に行かないとオレンジ色がベッターとなります。5分遅れて貼られたこともあります。30丁目のアパートの前は日中はコマーシャルのライセンスプレートを付けた車だけが駐車出来ますが普通車は出来ません。だから後ろのドアを大きく開けてハザードランプを点滅させたまま大慌てで荷物をロビーに何回も往復することになります。この場合も貴重品は車に置いておけません、ホームレスがうろうろしてますから。いちど運ぶのに手間取り車に戻ったらお客さんに持って行く大きな紙袋にいっぱい入っていた明治、大正期の結構高いものを全部盗まれてました。

こんなこともありました、アパートの正面玄関に車を止めていてすぐ戻ったらトラフィック、オフィサーがチケットを書き込んでいる最中で私は慌てて車に乗り込んで発進しようとしたら”待てっ”と言うので一瞬怯んだところ、オレンジ色がベッターでした。もうホント血も涙も無いです。

車を動かさないと行けない日は反対側にダブルパーキングして清掃トラックを待ちす。大きな巨大ムカデみたいなトラックが轟音をたててやって来てムカデが一瞬のうちに去るとダブルパーキングしていた車が一斉に我れ先にと熾烈な競争になります。こういう事態は私が最も得意とする分野で、周到に計算して一気に攻めます。間髪入れず車のアタマをぐ〜いと突っ込んで後は位置を修正するのです。戦い済んだ後は残りの時間をのんびり新聞読んだり文庫本読んだりします。今はブルックリンに住んでいるので車の移動は週1度になりました。そしてすでに二度車が消えました。ブクックリンのいい点はクレジットカードが使えることと車の保管先のネイビーヤード迄歩いて5分でこれは大いに助かります。

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Plymouth Street がお気に入りのパーキングスポット

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いつもこの付近を回ってはパーキングを探しているのですがこの大きなマンションが気になっておりました。渋いのデーンさんによるとこの邸宅はあのペリー提督がかって住んでいたそうです。この左側の崖を下ったところがネイビーヤードになります。

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BQEを走る、運転しながらの撮影はお勧めしません 

 

NY百花繚乱 - 様々なRoom Mate

30丁目のアパートに引越してから私はその頃の日系新聞OCSの求人広告欄にルームメートを探し始めました。家賃を折半にすると大変助かるし、私は夏はサグハーバーの店に三ヶ月に行って留守だし、冬の三ヶ月も日本に行って留守なので半年はアパートに居ないのです。それ以外のシーズンは金曜日から月曜日迄店を開けてましたので、アパートに居るのは週3日だけです。私は日本人の女の子だけに焦点を絞りました。アメリカ人は信用していなかったので貸すつもりはありませんでした。でも知り合いから頼まれてやむなく二人だけに貸したらやはりダメで、ひとりは家賃を払わずトンズラ、もうひとりも光熱費をずっと支払わないまま消えてしまいました。最初のアパートは9階の西側でそのアパートには1987年から1997年迄の10年間マイケルから借りてました。ちょうどバブル期の頃でした。

北海道出身のN子は23歳で匂い立つような色気があり、同性ながらもうっとりします。とても性格の良い子で申し分無いのですが、たったひとつの欠点は衣替えの季節のように男が次々と変わるのです。これには本当に私も悩みました。どうして悩むかと言うとワンベッドルームのレイアウトがベッドルームとリビングルームが接続していてキッチンとバスルームがそれぞれ両端にあるのです。つまり私が夜遅くにバスルームに行こうとすると彼女が寝ているベッドルームを通らないと行けないのです。勿論彼女ひとりで寝てるのであれば問題ありません。問題は彼女が男と寝てるその横を私が通らないとバスルームに行けないのです。これには本当に参りました。こんなこともありました。アメリカ人の新しいボーイフレンドから真夜中に電話があったのです。私は怒気を含ませた声で”Do you know what time is it”とかなり不機嫌な声で言ったら相手は丁寧にも正確な時刻を教えてくれました。水商売の女の子もいました。私は途中で自分で捜すのを止めて不動産やに斡旋を頼むようになりました。と言うのは不動産やに手数料を払える子、そして身元がはっきりしている子を重視したのです。何故なら殆ど留守がちなので不動産やに任した方が得策だと考えたからです。私は1997年の11月に8階の東側のワンベッドルームを購入しました。このアパートを購入するにあたっては実に1年半も時間が掛かりました、私は新米の弁護士を雇ってましたが、彼ではラチがあかないと判断して他の弁護士に書類を全部持って行ってやっと購入出来たのです。私が出したオファーの金額が遥かに良かったのでマネージメントも待ったのだと思います。とにかく8階のアパートはキッチンとバスルームが真ん中にあり、それぞれベッドルームとリビングルームが両端にあります。このレイアウトだと夜中にバスルームを使うのも気兼ねしなくて良いしプライバシーもかなり保たれるのが購入する決め手になったのです。

このアパートでかなりおかしなルームメートの女の子がひとりいました。学校に行っているとかであまり顔を合わすことが無かったのですがいろいろとメールで注文を付けてくるのです。バスルームのドアに鍵を付けてくれ、と言うのです。バスルームを使っているのを知らずにうっかりドアを開けてしまったことがあるのです。でもトイレは洗面場の鏡とシンクの壁の後ろにありよしんば使用していたとしても足が見えるだけです。私はあちこちハードウェアーショップを回りましたがドアフレームが鉄製なので取り付けるのは専門家を呼ばないと素人では取り付けられません。サグハーバーにいる私にメールが届くのですが、どうも腑に落ちないのでよくよく時刻などを仔細に見たら何とメールは日本に居る彼女の母親が全部返事を私に出していたのです。いちど私がデコデザインの大きな鏡台の引き出しの中身を取りに彼女のベッドルームに入ったことがありました。彼女のデスクには片手鍋の中に割り箸が突っ込まれてラーメンの汁だけ残ってました。

半年もしないうちにその子は出て行きましたが後で聞いた話しによると彼女は心理学を勉強しにNYに来たそうです。

 

 

 

 

NY百花繚乱 - NYのアパート事情

1985年にMercer Streetのアパートを出た私はE82丁目のFirst Ave. と York Ave.間のRailroad Typeと呼ばれるアパートに移りました。おそらく大恐慌時代に建てられた安普請のブルーカラー向けのウナギの寝床みたいアパートです。そこに約2年近く住んでおりました。ある夜、ふとアパートの裏庭を見ると蛍が飛び交っているのです。マンハッタンの街の中で蛍が飛び交うなんてとても不思議な気がしたのを覚えています。界隈はウクライナ系、ポーランド系、ハンガリー系と東欧からの移民が多く住んでました。ダウンタウンの喧騒から逃れて来たらとても静かです。これが同じマンハッタンかと思えないような静けさです。しかし、地下鉄の駅は86丁目まで歩かないと行けないし、2nd Ave.から出るダンタウン行きのバスはなかなか来ないので交通の便がちょっと不便なのが難点でした。それに私のアパートは3階にあり階段なので荷物がある時はかなりの負担です。特に商品を運ばないといけない時は本当に大変でした。1987年、サブレットしていたそのアパートに元の借り主が戻ると言うので私はアパート探しを始めました。私はレキシントン通りにあるアメリカ人の不動産エージェントを最初に訪ね、3件のアパートを見せて貰い2件目のアパートを即決しました。不動産エージェントを訪ねて1時間も経っていない速さです。そして不動産手数料として年間のレントの15%支払わされました。後で分かったのですが3件見せる場合いい物件をひとつだけ入れるのが常套手段だったようです。これも後で分かったのですが日本人の不動産屋に行くと手数料は一ヶ月分だと知りました。しかし、何でもそうですが出会いと言うものはそのような計算ずくでやって来るものではありません。気に入って長く住めば15%など安いものです。私の条件はまずドアマン無し、しかしエレベーター、そして荷物運搬用エレンベーターも兼ね備えていること、その条件にぴったりだったのです。ダウンタウンのMercer Streetのアパートでドアマン達は金持ちに愛想を振りまきますが我々みたいなのには鼻も引っ掛けないような態度なのに辟易していたのです。30丁目のアパートは100年前はホテルだったそうでなかなか立派なそして重厚な佇まいです。向かいにはMartha Washington Hotelがあります。9階建てのビルで私が借りたのはトップフロアーの9階の西側です。リビングルームからちょうどエンパイアステートビルのイルミネーションが見えてなかなかの眺めです。当時あの界隈はホームレスやアル中、それに娼婦がたむろしており、それに少し西側に行くとウェルフェアホテル(簡易宿泊所)が沢山あると引っ越してから聞きました。不動産エージェントはこの界隈はマリーヒルズと言って昔から金持ちが多いエリアだと言っていたのと随分話しが違います。しかし私は自分の直感を確信していたのでアパートにはとても満足しておりました。それに私が借りたアパートのオーナーはマイケルと言って気の良いジューイッシュの大男で私を随分気に入ってくれました。彼のお母さんは同じ30丁目の3rd Ave.近くでアンティックのお店を開いていてこのお母さんもとても気の優しい人でした。NYの古いビルはどこでもそうなのですがエレベーターが頻繁に故障します。9階迄登ったり降りたりするのは本当に大変でした。当時はまだ30年〜40年以上も住んでいると思われるお年寄りが何人もいましたが私がかれこれそのビルに20年以上住んでいた間に次々と亡くなっていきました。他の州は知りませんがNYでは古くから借りているテナントはレントコントロールだったかレントスタビライズかどちらか分かりませんが(何度聞いても忘れる)レントが値上げされない法令があるのです。特に70歳を過ぎている高齢者は追い出せないことになってます。だからSOHOなんかのロフトやアパートで数十年住んでいるテナントは新しく入居したテナントのレントと比較すると1/5 〜1/6ぐらいであることが珍しくありません。私の知っているライザはもう80歳過ぎてますが、彼女の住む56丁目の大きな2ベッドルームアパートはホテルペンシルベニアの反対側の古いビルあります。彼女はそこにもうかれこれ数十年住んでいてビルも新しい所有者に7−8年前に変わったのですが古くからのテナントを追い出すことは出来ません。新しい所有者は古くから住んでいるテナントが死ぬ迄じっと待たないといけないのです。それとNYにはHousing Authorityと言う政府機関系の部署があり、テナントの当然受ける正当な権利を守る役目を果たしております。ランドロードつまり大家がヒーターの故障や水回り等様々な問題を放置すれば罰則を受けることになります。

私の新しく引越したアパートは30丁目のストリートに面していないので比較的静かです。エンパイアステートのイルミネーションの色が変わるというのも初めて知りました。夜ベッドで本を読んでいるとエンパイアーステートビルの光りがパッと消えるのです。もうそんな時間になったのかと思って私は本と閉じ眠りにつきました。

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旧ユーゴスラビアからの移民のSuper(管理人)と1987年

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Midnightと30丁目のアパートの前で